大手町写真館 – 大手町ビル敷地

大手町写真館

大手町写真館 大手町ビル敷地

大手町ビル敷地は、譜代大名の小笠原忠(ただ)幹(よし)の屋敷跡

ここでは慶応図(慶応年間1865~68)を見ることにします。

大手町には酒井左衛門尉(さえもんのじょう)忠(ただ)篤(ずみ)、小笠原左京太夫忠(ただ)幹(よし)、松平越前守茂(もち)昭(あき)、松前伊豆守崇(たか)広(ひろ)などの大名が屋敷を構え、勘定奉行所や御作事方などのいわゆる役所も配置されていました。勘定奉行所は幕府領の税収や財政の運営を行い、幕府の建築・修理などを受け持ったのが御作事方でした。

上記大名の中で、大手町ビル敷地には小笠原左京太夫忠(ただ)幹(よし)の上屋敷がありました。豊前小倉(福岡県北九州市)十五万石の大名です。幕末動乱期にはその震源地である長州藩と隣接していたため少なからず影響を受けましたが、一貫して幕府側につきました。

ですから長州征討の際も西側の第一線基地とされてもいます。忠(ただ)幹(よし)は元治二年(慶応元年)長州再征の最中に病気で亡くなりました。

明治十年頃の大手町ビル敷地には明治政府の国有林を所管する東京大林区署が置かれ、これを取り囲むように大蔵省印刷局、大蔵省、内務省がありました。大手町エリアは明治のころにすでに経済や金融の街としての下地があったということができます。
ohtemachi
(出典:御曲輪内 大名小路絵図/人文社)…絵図中、赤丸の中央に小笠原家の名前がある。

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